閉店体験者の声

 

独立、開業、起業、、、世の中には、新しく事業を始めるための情報はあふれています。しかし、実際には、その多くがスタートしてほどなく、閉店、廃業、撤退に追い込まれています。

 

最初に事業計画を作成する段階で、最悪のシナリオとして、閉店、廃業、撤退を計画に織り込んでおくべきです。そうする事で、再起、再スタートが容易になります。

 

ここでは、実際に閉店、廃業、撤退経験した方々の話を掲載します。とても貴重な情報です。

 

  1. タイ料理店8年目で腹をくくる(東京都)
  2. スペインバル(横浜市)

閉店体験者の声 タイ料理店8年目で腹をくくる

 

約8年間経営していたタイ料理店を閉店することは、ずいぶん長い時間をかけて決心しました。

 

「明日はもっとお客さんが来てくれるのではないだろうか?」「この部分を改善するまで様子をみてみよう」毎日毎日、自問自答して、改善できるところは片っ端から改善して。料理人が替わるたびに期待を寄せてもみました。でも満足のいく売上が期待できなくなった時の絶望感が期待よりも上回り、何よりも自分自身の毎日店を開けることの意思が継続できなくなったときには、自然に閉店の決断の道が開かれたという記憶です。


当時の記憶も薄れてきましたが、閉店してからもう8年になります。タイ料理の人気はすっかり定着してたので、料理名も広く認識されていたり、タイ人コックを招聘する手続きの仕方なども以前に比べて容易になっていたことなど、タイ料理店をオープンするにあたり有利になる材料もたくさんありました。

 

しかし、バブルがはじけて日本全体に不景気な雰囲気、デフレ感が漂っており、不利な条件もそろっていたように感じます。やっとホームページができはじめた頃で、今のようにブログの口コミや店長ブログもない時代でした。どれほどの効果を発揮したかはわかりませんが、ブログが存在していたらなあと今では思うことがあります。ひそかにファンになってくれる人を増やせるし、何よりも開店から閉店までのつぶさな記録ができたことでしょう。

 

閉店すると決めてから閉店までの経過を思い出せる範囲で書いてみたいと思います。

 

 thaimen.jpg

 

閉店を明らかに決心したのは、実際の閉店の3カ月前でした。直接の原因はやはり売上がどうやっても伸びない、自分たちの別の仕事で得たお金をもって補填しても追いつかなくなったからです。子どももいるので、生活自体が成り立たない状況になるのは避けたかったという事情からでした。

 

まず、不動産屋さんに閉店することを告げました。○月末をもって閉店するということに決めたので、できれば造作も譲渡したいと申し出ました。数機の冷蔵庫や厨房の設備もリースのものはなく、すべて買っていたので少しでも高く買ってくれる人を探してほしいとお願いしました。

 

あとは、なるべく今のままで引き取ってくれるというのも条件にしました。業種転換するわけでもなく、この業界から身を引くので、自分たちでテーブルや炊飯器などまで処分するなどということは、少しでもマイナスを防ぐという意味でしたくなかったわけです。

 

1カ月ぐらいして、居抜きでよい、機器類や造作・内装などを買い取ってもよいという人が現れました。和食系のお店を開きたいということでしたが、さほど違和感はなかったのか、快く、そのまま買い取るという条件を受けてくれました。

 

ただ、仕方のないことですが、金額的にはだいぶ安くなりました。しかし自分たちで処分することなどは無理で、ただでさえ疲れている身には、安くても「売れた」といううれしさのほうが上回っていたので、よしということにしました。

 

不動産屋さんを通しての交渉は、交渉内容が不透明で、どんな材料を出したり受けたりしているのか、そのプロセスがまったくわからずに、いきなり数字ありきのような結果だけ受けることになるのを飲み込めないと、交渉が長引き、閉店すること自体も疲れてしまいます。もしかすると、もっと高く売れるものも、調べることなく言い値でOKなんてこともあり得るかも知れません。 

 

 thaitemple.jpg

 

次に大切なのはコックへの告知です。コックには、不動産に告げたのとほぼ同じ時期に伝えました。閉店まで3カ月くらいあったこと、次の職場を探す手伝いをするということを条件にコックは理解してくれました。余分なお金は請求せずに、働いた分だけの給料でよいということも合意してくれました。これはかなり良心的な判断をしてくれたと当時のコックに感謝しています。アルバイトたちにも知らせて、次のアルバイトを探すように話し、閉店までは手伝ってほしいと頼みました。

 

先が見えてくると、「その日まで」という目標が出てきます。売上がかんばしくないといえ、ひいきにしてくれる常連のお客さまもいましたので、こういう方たちに対しては少しずつ告知していきました。そして、できるだけ足を運んでほしいという案内を出していきました。

 

閉店まで1カ月くらいになった頃からは、口頭で積極的に閉店の宣伝をしました。ランチの客にはすぐに効果がありました。いろんな人を誘い、毎日のように来てくださる方も多くいました。ディナーについては、ずいぶん大小の宴会の予約を入れていただきました。「普段からこんなにぎわいがあったら閉店なんて考えなかっただろう」と、レジを打ちながらしみじみ思いました。それくらい閉店前の1カ月は繁盛しました。つくづく店は常連さんをはじめとしたお客さまに支えられていると思います。

 

閉店して3〜4日後が引き渡しの日でした。それまでは猛スピードで後かたづけをしました。お皿や装飾品などあたりまえのもののほか、足かけ8年の営業の毎日の中では、かなりお店と密着した暮らしでしたので、引き上げ荷物の中に自分たちの私物もいろんなものが含まれていて、別の意味で楽しく荷物の整理と片付けができました。コックたちも一生懸命に厨房内の片付けをしてくれ、また私たちより少し前に閉店したお店のオーナー夫婦も手伝いに来てくれて、ずいぶん助けられました。

 

引き渡しの朝は、何もなかったように店はそのまま、私たちが磨いてきた椅子やテーブル、厨房機器がありました。1枚だけ写真を撮り、すべて終わりという気持ちだけで満ちていました。今日からもうお客さんのことや天気のこと、仕入れのこと、アルバイトのことなど何も心配しなくていいんだなという気持ちだけが優先していたという記憶だけ今も残っています。現在はまったく違う業種の仕事を夫婦でやっています。

IMG_4065.jpg

このページの一番上にもどる 

閉店体験者の声 スペインバル(横浜市) 

 

横浜駅から徒歩数分のところに小さな街がある。全国的に名の知れたみなとみらい地区へも歩いていけるが、港町横浜のイメージとはだいぶ違う、静かな庶民的な街だ。

 

この街に仕事で来るようになって、気になる店に出会った。スペイン小皿料理の店だ。10人入るといっぱいになるのだが、いつもお客さんがいっぱいで、楽しげな雰囲気に満ちていた。

 

1人で切り盛りしていた店主とあれこれ話すうち、二人ともヨ−ロッパの食や文化が好きであるとわかった。サッカーもリーガのファンだった。「スペイン風」ではなく、ほんとうに「スペイン」だった。

 

足繁く通ううちに意気投合し、ついには共同で、すぐ近くに場所を移して、少し店を大きくして新しい店をオープンすることになった。本場「スペイン」のやり方、雰囲気にこだわった。

 

 estrella.jpg
 
一年があっという間に過ぎた。


しかし、なかなか売上が伸びない。メニューはもちろん、内装や置物、照明など小さな工夫をかさねてみるも状況は好転しない。そうなってくるとお互いのやり方をめぐって、衝突が起きるようになる。

 

そのことが影響したのか、パートナーの健康状態が悪くなっていった。今、思うと、相当プレッシャーがかかっていたに違いない。健康状態はますます悪化し、店の営業どころではなくなった。おおげさではなく、パートナーの命にかかわる問題になってきた。一旦、営業を中止した。


この期に及んで、迷いはなかった。閉店を決断した。


決断した以上、できるだけ早く閉店したい。しかし、店舗賃貸借契約で解約予告期間が3ヶ月必要だった。近くに店舗専門の仲介会社があり、そこの社長に相談させてもらった。すると、「造作もすべて譲渡する条件で、次に借りる人を探してみるべきだ。」とアドバイスを受け、募集をお願いすることにした。

 

ほどなく、この条件で借りたい人が現れ、大家さんも同意の上、造作譲渡契約にこぎつけた。閉店を決意して、ほぼ1ヶ月のスピード処理だった。そのため、無駄な家賃の支払いが一切なかった。


店の明け渡しは、1週間後に決まった。急いで片づけを済ませた。造作、備品はすべて譲渡することになったので、思いの他、片付けは早く済んだ。片づけが終わった店内で、ひとり「お疲れさん」とつぶやいて、ワインを飲んだ。

 

realm-2.jpg


結局、1年半ほどしか営業しなかった。10年も20年も営業を続けている店があるが、すごいことだと思う。今回、不動産会社の社長のアドバイスのおかげで、うまく閉店することができた。とても感謝している。手元に残る金額で言えば、300万円近い差になる。この300万円が後の人生に大きく影響してくる。


これから団塊世代の大量退職が始まる。退職金を基に独立を考えている方も多くいらっしゃるだろうが、一度や二度、失敗してもいいようなリスク(資金)管理が大事になってくると思う。


その後、パートナーは半年の療養生活を経て、少しずつ回復してきた。今は、ヘレスを飲みながら、将来のことについて、楽しく話をしている。

このページの一番上にもどる